6月7日。ユウキの命日が過ぎた。
今でもユウキとの日々を思い出さない日は一日も無い。

部屋いっぱいに飾られているユウキの写真に語りかけることも多い。
それが他愛も無いことであったり、相談だったり。

ユウキが残した生活の痕跡により、日常の些細なことを思い出したり、
ハルカやマサトと遊んでいる時「ユウキがいたら、どんなだろう?」と思ったり。
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「死」と言うものをホントに身近に感じてしまった。
身体はそこにあるのに、もういないことが分かる。
それを我が子で経験した時の衝撃は、よく気が狂わなかったなと思う。

今はピースが足りなくて完成することが無いと分かっていている「幸せと言う名のパズル」
を毎日頑張って積み上げているような感じだ。
起きてしまった不条理に対し、毎日を楽しく過ごすことでしかピースを積み上げられない。

悲しさ、寂しさは、ハルカとマサトの二人のおかげで和らいできている。
同じような状態が続いていたら、こんなblogなんぞ書いていない。
悲しさ、寂しさの感情は、生き続けるため、本能が和らがせるのだろう。

一方で、悔しさは当時より増している。
ラヂに限らず、どんな場面でもユウキが隣にいないことへの悔しさは言い表せない。
「ユウキがココにいたら・・・」と思えてしまう場面は、視界にすら入れない自分がいる。
悔しさと言う感情は、悲しさ、寂しさと方向性が違う感情だと思う。
このおかげで、意地でも頑張れたりする。エネルギーになるのかなと。
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ユウキは純粋だったなと今でも思う。
普通の子では当たり前の日常が、ユウキには特別な毎日だったはずだ。
だから、他の子が当たり前に感じることでも感動したり、喜んだり、
そして素直に感じ、吸収して、人一倍、喜び、感謝を表現してくれた。

短い間だったからこそ、それは強烈に今も自分の心に残っている。
身体は無くなってしまったが、良い心と魂は、ハルカやマサトにも受け継がれて欲しい。

ユウキがいなくなり半年ほど経ったある日、ハルカがユウキのメッセージを私に伝えた。
「いつも休みの日に、何処へ行くか考えてくれて、いろんな所へ遊びに連れて行ってくれた。
それがとても楽しくて嬉しかったし、感謝してるんだヨ。」と、言っていたと。

嬉しいと言うか、ありがたくて涙が止まらなかった。

そのメッセージに対する応えを今は実践している。傍にいるユウキも一緒に遊んでやろうと。
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また来年のこの時期、ユウキを通し、どんなことを感じるのだろう。
少しでもピースが積み上がっていることを期待したい