2回目の命日、今年もユウキのいない1年過ぎた。

ここまでの2年は過ぎてみれば、あっという間だったが、
たった2年前に、ユウキがこの世界で一緒にいたということが、
はるか遠い昔の日々のように感じる。
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ユウキとの日々は、今でも毎日のように思い出すが、
その日々を思い出し涙することは、この1年で相当減った。
それは、記憶が薄れたというわけでは無く、心の整理が少しついたことと、
今も変わらず見守ってくれていると、安心することに慣れたのだと思う。

私がこの世界にいる間に、少しずつ、ユウキと共に過ごした場所、お世話になった場所に、
もう一度訪れてみたいと思っている。

それが長期に渡りお世話になった、神奈川こども医療センターであったり、
長期滞在を受け入れてくれた、横浜のボランティア施設であったり、
一緒に遊びに行った場所だったりと、短い時間の中だったが沢山あると思う。
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今回、命懸けで闘い続けた日々を走り書きして残そうと思う。

理解出来る人は少ないだろうが、子ども1人が命に関わる「がん」と闘うとき、
それがいきなりステージ犬噺世Α∈蚤腟蕕隆躓,膨礁未靴浸、
あまりの衝撃に、事実を受け止めることが全く出来なかった。

そして「先の見えない恐ろしさ」と「家族が別々の場所で生活」が重なり、
家族全員に与える破壊力と、それに耐えるため費やすエネルギーは、
日常生活で起きうる、どんな試練と比較してもステージが違った。
「家族も病気と闘わなければならない。」は本当だと思う。

先に書いておくが、今回載せている写真は全て治療後のモノだ。
私が「この与えられた試練は乗り越えることが出来る。」と信じていた時期のモノであり、
そんな日々が多くあったことは、どれだけユウキが頑張ってくれたかを証明するものだろう。

当初、治療を受けていた、名古屋大学附属病院の小児外科が、規模こそ県内屈指だが、
治療施設ではない研究施設であり、ユウキの命を預けるに値しないと判断し、
セカンドオピニオンを経て、治療途中で神奈川こども医療センターを頼ると判断したことは、
大病院の肩書を単純に信じてしまう、ヨメさん以外の周囲の大人からは不安視されたが、
結果的に命を救えなかったものの、今でも間違いなく正しかったと思っている。
私が覚悟を決めて動かなければ、間違いなく3年早く命を落としていた。
たった3年と思う人もいるだろうが、このブログだけでも、ユウキと過ごした3年が、
どれだけ貴重な日々だったかは理解出来ると思う。

ただ、地元では私と3歳になったばかりのハルカが日常生活を送り、
横浜ではヨメさんとユウキが非日常生活を送るという生活形態は、
今考えても厳しい毎日だった。それを当然、ユウキも理解していた。

遠方で寄り添う存在が少ない中、ユウキは、
私があと何日で会いに来るのかを楽しみにしていたと聞く。

ユウキは、私が地元に帰る時、寂しさに耐え、平気な顔でバイバイと言うが、
後のヨメさんの報告では、駐車場から姿が見えなくなるまで、4階の病棟から私とハルカを眺め、
見えなくなった後は、寂しくて元気なく泣いていたよ。と言うものだった。

そんな報告を聞いた後は、その時のユウキの顔を思い出し、
闘っているのは病気だけでは無く、孤独や寂しさとも闘っているのだと、
たまらない気持ちになったことを思い出す。

病棟に行くと、長い付き合いとなる医師や看護師から
「今日はお父さんが来ていると思いました。」との言葉を何度も頂いた。

理由はいつも同じ。

私がいると、ユウキは明るくなって口数が増え、強気なことを言うようになるらしい。
そんなことを聞いたら、どれだけこの子の近くにいる時間を、
そして限りあるのかどうか分からない時間を大切にしたくなるか、
普通の親なら理解出来るだろう。

いつもどれだけ心細い毎日を過ごしていたのだろうと想像すると、
ユウキの傍にいることより、やりたいことなんて何もなかったし、
今も多くの試練を乗り越えてきてくれたことに対し、感謝しかない。




今回は共に闘い、ユウキに多くの元気を与えてくれたハルカの頑張りも記そう。
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週末は、仕事が終わってから、ハルカと高速飛ばして4〜5時間掛けて横浜へ。
日付が変わる前にヨメさんの滞在する、ボランティアで運営されている宿泊施設に到着。

翌日は面会時間スタート1時間前から、私はユウキのいる病室へ。
生体肝移植を始め、とことんユウキと共に治療に向き合っていた私の姿勢も
多くの医師、看護師から信頼を得ており、いつも多くの気配りをしてくれていた。
そんな中、ずっと二人で遊んだり、同じく難病と闘う子たちと遊んだりした。
他愛もないことしかしていなかったが、ユウキと一緒だと病室でも楽しかった。

どこの病院でも同じだが、子供が入院して一番困るのは、他の子供を連れていけないこと。
つまり、ハルカはユウキの入院中、顔を合わせることが無い。
遠路はるばるやって来ても、母親の顔しか見れないし、遊べることもかなり限定される。

ハルカは偉いなって思ったのは、2歳から何年も始まる闘病生活の付き合いに、
一度の愚痴すらこぼしたことが無かった。

病院に向かうため、朝5時起きで出発して眠かろうが、
愚図るどころか、眠いよとすら言ったことが無いし、

深夜に帰宅するとき、母親と離れる暮らしが始まり寂しいだろうが、
帰りたくないと愚図ることも一度も無かった。
これって、今振り返るとすごいことだと思う。

もともと思ったことや都合の悪いことを今でも隠せない子だから、
ずっと心の中でも不満を持ったことが無いのだろう。

両親とユウキが一生懸命に頑張っていることを、
分からないことだらけの中でも理解していたのだろう。

このことには私自身すごく救われたし、今でも感謝している。

幼少期を、私と特殊な環境で2人で過ごした日々が多かったせいか、
特に親子仲が良いわけでもないが、いつでもハルカと一緒にいることが当り前な毎日だ。
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そして今感じる、ユウキの「頑張り」と「残してくれたモノ」

ユウキは本当は5歳で終わってしまう運命に立ち向かい続けた。
我が家が悲しみで崩壊しないように、とことん運命に立ち向かい続け、
ハルカの成長とマサトの誕生まで頑張り続けてくれたのではないか。

そして、これなら何とか我が家が崩壊しないだろうと確信し、
「僕が死んだって、ずっとそばにいてあげるからね。」
「天国に行ったって見守り続けるよ、約束する。」
と言う、魂のメッセージを私に残し、どうしても変えられない運命通り旅立ったのではないか。

「生きるため」に次元の違う頑張りを見てきた私には、そう思えてならない。
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ユウキの頑張りを見なければ、きっと私は、ぼんやり生きてしまっていた。
「生きることの尊さ」「限られた時間の儚さ」なんて気づかなかっただろう。

今は十分気づいているし、ぼんやり生きていない。
「何が大切」で「何を大切にすべきか」が、はっきりしている。
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今年もユウキにまた一つ「ありがとう」を言いたい。