本当に早いもので、ユウキとの別れから3年が過ぎた。
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ユウキがこの世界にいれば、今は中学一年生

ラヂに関して言えば、私が誘うのは小学生までと決めていて、
後は本人が希望すればという感じだったから、実際はどうなっていただろうか。

4年生までの姿しか見ていない私にとっては、それなりに成長した姿を想像するが、
イマイチその姿がピンと来ない。


ハルカが4年生になり、いよいよ当時のユウキの年齢に追いついた格好だが、
天国から見ているユウキは、「まぁ何とも頼りない妹だ。」と、
苦笑いしながらブツブツ言っているのだろう。
ユウキは、最期の最期まで、ハルカのお兄ちゃんしていたからな。

確かにハルカは頼りないけど、当時のユウキに本当に似てきた。

ハルカを叱ると、何故か傍にいるユウキもシュンとしてしまって、
「大丈夫だよ。」と私の前でハルカを慰めていたが、
マサトを叱ると、ハルカが同じことをしている姿を見ると笑ってしまう。

そんな光景からもユウキを感じることがあるから、
ハルカとマサトと一緒に過ごす、他愛のない毎日が心地良いのだろう。
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マサトが生まれた夏

ヨメさんは、マサトの出産が近づき地元での生活。
一方、私はユウキの手術を控えた入院生活の付き添いで横浜にずっと滞在していた。

半年以上前から恐れていた、マサトの誕生時に家族がバラバラの状態での生活が、
現実のモノになってしまっていた。

そしてマサトが生まれる4日ほど前の17時頃、
私は4週連続の手術になる提案を受けていた。

内科のトップは、体力的には無理だと思うから、
治療と命を諦め緩和ケアしろと言い、
外科のトップは私に判断を任せると言った。

前だけ向いてユウキと闘う気持ちが揺らぐことは無かったが、
直感的に4週続けられる体力は無いと判断していたので、
ユウキの命の選択を迫られた話し合いは、長時間に渡る熾烈なものになった。

私は事前に地元と京都の病院に交渉し、横浜にいながらもヨメさんと連携して、
受け入れ体制を整えていた手術後の治療プランを最終的に提示し、
リスク承知で2週での全ての手術をお願いし、闘い抜く覚悟を決めた。
長期間の治療をしているにもかかわらず、1日足りとも無駄に出来ない日々だった。



結果は、当時、考えられる中で最高のカタチで成功した。
そんな喜びと力みなぎる中、地元に帰宅し、
生まれてから2週間以上経ったマサトにやっと会えた。
マサトの名前も誕生後1週間経っても決まらず、出生届も期限ギリギリだったな。

ユウキは、闘病生活の厳しさゆえ、マサトに対して、
接することが出来る時間が少なかったことを気にしていた。

いつも私に「マサトは僕のことを好きになってくれるのかな…」と不安を口にしていた。
「ユウキを好きにならない理由がないよ。」が私の答えだった。

今ではマサトの口からは「これユウキ君のトミカ」とか口にする機会が多くなった。
記憶に少ない兄ながらも、兄の存在を理解し始めているようだ。

これからも、弟に優しかった兄のことを、ゆっくりと伝えられたらと思う。
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私に関して言えば、あらゆる場面でユウキのことを思い出す。

この世界で、ユウキとの未来を奪われてしまったが、
今、この世界にいたらどんなだろう?と考えたりもする。
生意気に育ってても、親泣かせでも良かったから、見たかったな、その姿を。



「ユウキ君は、麻婆豆腐にひき肉が入っているとすぐに気付いて、美味しいと喜んでくれた。」



何てことない、日常のヨメさんとの会話だが、
それが、私が知らなかったユウキとの日常を聞いた会話だとすると意味合いが変わる。

当時、自分が知らなかったことを「今」知ることが出来る。
ただそんな些細なことですら、ユウキに関わる発見があると、
その姿が映像になって蘇り、胸が温かくなる。

意識せずとも、そんな会話が一つでも多く出ることを願って止まない。



ユウキほど私の気持ち、感情を読み取る存在は他にいなかった。
長い闘病中、私は数え切れないほどの感情の揺さぶりを経験してきた。

最期の最期まで治ると信じてユウキと一緒に闘い続けてきた、
いや、一緒にとは言えないかもしれない。

ユウキは生きていることが楽しくて、長生きしたいと最期まで言い続けてきた。
それは本心だろうが、言わせていたのは私かもしれないと、最近は思うようになった。

全ての治療を諦め、残りの人生を安らかに過ごせる毎日への努力に徹すると決めたのは、
GWに旅行へ行った後の数日後、自宅で大量の吐血をした日だ。

肺に転移した腫瘍が破裂したことが原因と言うことは私もヨメさんも、
救急搬送される前から理解していた。

この世界に、これ以上残酷な光景なんてあるのかと思った。
だから、今でもあの残酷な光景を忘れることが出来ない。

根治を目指した闘いが終わり、ユウキを看取る覚悟を強制的に決めさせられた後、
たぶん私のユウキに対する態度は大きく変わっていたと思う。
もう、十分闘ってくれたから、ノンビリして良いよといった態度だったと思う。

その変化をユウキが感じ取らないはずがなかったと思う。
その時、もう自分は助からないと思ったのかもしれない。
だから「死への覚悟」をふと口にするようになったのだろう。

出来ますか?

わずか9歳の子が、本当にもう自分は死んでしまうだろうことを、
落ち着いたまま親に口にすることを。

その時の思いを、いつか同じ世界に行った時に聞けたら良いなと思う。

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過ぎたことを悔いることは大嫌いだから出来ないけど、

「精一杯頑張ってくれて本当にありがとう」と言う感謝の気持ちは何ら変わらない。

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まとまらない書きぶりになったが、あえて書くことで、

ユウキとの大切な記憶を呼び戻したりすることが出来たし、

今年もユウキのことを何らかの形で残すことが出来て良かった。